冬至 in 信州豊野

こんにちは、wednesday岡田です。

ここ、信州豊野にも冬至がやって来ました。あたりまえですが。。。現在朝の六時半、辺りはまだ薄暗い感じです。日照時間の短さもあり、寒気の流れで寒さも半端ありません。ですが、明日からは少しずつでも春への足音が近づいていくのでしょう。

冬至といえば、かぼちゃに、ゆず。
今年から信州の里山にもどってからというもの、この食習慣というのが、縁起や祀りごとだけで習慣とさせられていないことに少しづつ気付きました。今日は冬至だからかぼちゃは縁起がいいとか、土用の日はうなぎ食べなきゃ、など、いまや習慣になっている文化というものは、とても長い時間をついやし厳しい生活のなかから自然と生活に密着した知恵が、時代の反映とともに、文化というものに形成させてきたんだろうと思い、歴史の重みもをかんじてます。 ゴ

なぜこんな事を感じたかというと、今年の夏に栽培したかぼちゃを母は、冬至までは腐らないのでそれまでに食べれば大丈夫だと。つまり、冬至に食べる、のではなく、冬至までにたべる、でなきゃ腐る。なのです。だから、昔から、冬至までには食べきらなきゃならない、余ったものもなんとしても食べきらなきゃならないのです。それが習慣のはじまりなんじゃないかなと思うのであります。
なので、かぼちゃを買って来てまで、食卓に並べたところで、何にありがたみを感ずるのか、その習慣が何をもたらしてくれるのか。疑問です。
まあ、商業的にもそんな習慣は山ほどあるとおもいますが、縁起の元の習慣を理解することで、必要性や満足度が変わってくるのではないでしょうか。

もうすぐクリスマスですね。これもまた必要性にはいささか疑問がのこりますが、これはちょっと話が大きすぎて、かぼちゃと一緒にすのるのは失礼ですね。(^-^;